2016年11月29日火曜日

第10回Sapientia会研究会開催のお知らせ

第10回Sapientia会(2016年12月)の詳細が決定しましたので、お知らせいたします。


 Sapientiaとはラテン語でSophia=上智を意味します。Sapientia研究会は、上智大学内他専攻大学院生との相互交流を深めると共に、他分野の研究内容やその手法を知ることで、各々が自らの研究を深めることを目的としています。
 また、この研究会を通じてより広範な知識を得るだけではなく、専門外の方々にも自らの研究の意義と内容を理解してもらうための創意工夫と努力を重ねるこ とは、大学院生の研究職への就職難が叫ばれる昨今の状況下、ますます必要 とされるであろう、より多くの人へ自身の研究成果をアピールする術を会得するための貴重な機会となると考えています。
 将来的にこの研究会と上智大学大学院生の総合交流の輪がより大きな広がりとなるよう、他専攻所属大学院生や、学部生の参加もお待ちしております。
  
 以下、第10回会研究会の概要となります。

今回は学部生二名、院生二名(前期課程一名、後期課程一名)の計四名の方に報告していただきます。それぞれ扱う時代やテーマが多岐に渡りますが、様々なジャンルの報告から新たな見地を見出すことが出来ると期待しております。また、大学院への進学を考えている学部生の方々は院生と交流できる機会でもありますので、是非奮ってご参加ください。

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日 時:2016年12月18日(日) 13:00~17:00
会 場:上智大学 12号館203教室


13:00~
古代中国における異民族認識と境界――羌の事例――
文学研究科史学専攻博士後期課程   酒井駿多

13:45~
平安時代における稲荷信仰の担い手
         文学研究科史学専攻博士前期課程 西山裕加里

15:10~
大正新教育運動と澤柳政太郎の生涯
文学部史学科 小川一樹

15:55~
「言語論的転回」との向き合い方――実証史学の観点から
文学部史学科 山野弘樹

(※各報告者の開始時間に関しては目安になります。)
※12月7日追記 報告順を一部変更いたしました。ご確認ください。


研究会に関しての問い合わせ、報告・投稿希望等は、sapientiasophiaXgmail.comまで(「X」を「@」に置き換えて)ご連絡ください。

2016年11月3日木曜日

第9回Sapientia会研究会

2016年8月8日(月)、第9回Sapientia会研究会が行なわれ、3名の方に発表をして頂きました。今回は史学専攻の学生のほか、国際関係論専攻や学部三年の方にもご報告いただき、幅広い分野での議論を交わすことができました。各々が他の分野の人間と関わることで、研究をより深められたことと思います。

  以下に報告タイトル及び要旨と、質疑応答の様子を紹介します。ご参加くださった方には内容の再確認として、また今後の Sapientia会研究会に興味のある方には、会の様子を知る一助としていただければ幸いです。

 なお、Sapientia会では、報告会(次回は2016年12月後半を予定)の発表者および会誌『紀尾井論叢』の投稿者を 随時募集しております。専攻に関わらず、意欲ある皆様の研究発表の場をご用意しておりますので、関心のある方はお気軽にsapientiasophiaXgmail.com(Xを@に変換)までご連絡ください。

報告の詳細に関しては記事の折込部分を参照ください。

※11月16日追記
報告いただいた岩田氏の学年が「学部四年」となっておりましたが、正しくは「学部三年」の誤りでした。お詫びして訂正いたします。



《第1報告》
カルヴァン研究の再検討:「聖遺物について」を中心に
文学部史学科 岩田園

 本報告では卒業論文に向けた中間発表として、宗教改革者ジャン・カルヴァンの著作である「聖遺物について」を通して彼の思想について考察し、今後の研究の方向性を示した。
 まず、聖遺物の定義、中世の民衆や現代のカトリックの聖遺物崇敬の様相を紹介した上で、「聖遺物について」におけるカルヴァンの主張の要旨を確認した。特に、『キリスト教綱要』の「聖遺物」の類似項目と比較を行い、そこには見られない「理性」という言葉が用いられていることに報告者は注目した。「理性」は「信仰」と対となって中世思想上重要視された言葉である。一般的に「神中心」とされるカルヴァンの神学だが、人間の「理性」を重視してもいたのだろうか。
 これらの点を踏まえ、今後は以下のような方向で研究を進めていきたい。まず、カルヴァンの思想上で「信仰/理性」がどのように定義されるのか、また両者の関係はどのようなものかを思想史的背景を考慮しつつ検討する。その問題を遠景としたより小規模な問題として、また相互補完的問題として、カルヴァンの思想のルーツを探りたい。特にカルヴァンの学問遍歴に注目し、パリ大学時代に受けたアリストテレスに基づく伝統的哲学・神学教育による影響が「信仰/理性」の考え方の中に見られるのではないかと報告者は考えている。
 質疑応答では、カルヴァンに対する周囲の改革者たちの影響が指摘され、他のプロテスタントたちの思想との比較を勧められた。また、キリスト教において神の意志に基づく理性を指す「知恵」という言葉の存在を示唆された。カルヴァンの著作の読み込みが今後の大きな課題である。研究を進める上では原語にあたることが必須であると、フランス語やラテン語学習への励ましを頂いた。


岩田氏の報告風景


《第2報告》
戦後西ドイツの学生組織:社会主義ドイツ学生同盟(SDS)研究概観
文学研究科史学専攻博士課程前期 吉澤直貴

吉澤氏の報告風景


《第3報告》
現代日本サブカルチャーにおけるロマン主義の諸相:虚淵玄の場合
グローバル・スタディーズ研究科国際関係論専攻博士課程後期 西島佑

西島氏の報告風景


 上智大学Sapientia会は、同大学院に在籍する学生の相互交流を目的とした横断的研究会です(運営は現在史学専攻による)。研究会誌『紀尾井論叢』の 発刊も行っております(全3号既刊)。今後も活動を継続して参りますので、研究会および雑誌に関心がおあり の方は、sapientiasophiaXgmail.com(Xを@に変換)までご気軽にお問合せください。

2016年9月21日水曜日

『紀尾井論叢』第4号 発刊のお知らせ





 『紀尾井論叢』第4号が発刊されましたので、お知らせいたします。

 Sapientia会は、大学院生の学術交流を目的として2012年に発足しました。昨年は史学専攻のみならず、他専攻から学部生まで幅広い層を交えた研究会を開くことができ、着々と研究会としての土台ができてきたことを編集委員一同実感しております。

 今回発刊しました第4号では、史学専攻の論稿のみを扱わせていただくこととなりましたが、今後も研究会等を通じて、学際的な活動を深めて行きたいと思っております。各方面よりご指摘や評価をいただき、本会および本誌が盛んな議論の場となれれば、本号に携わった編集委員、執筆者一同、この上ない喜びでございます。

 以下、目次を掲載いたします。

2016年6月12日日曜日

2016年度歴研大会に出店いたしました

さる5月28日(土)、29日(日)に明治大学駿河台キャンパスにて行われた歴史学研究会大会に、Sapientia会が出店してまいりました。

ご来場下さった方々、またご挨拶のために足を運んで下さった方々、本当にありがとうございました。今後もいっそう『紀尾井論叢』が巻を重ね、様々な研究テーマやその成果を提示できる場として発展していければと思います。


第8回Sapientia会研究会

20151219日(土)、第8Sapientia会研究会が行なわれ、3名の方に発表をして頂きました。いずれも博士後期ないし前期課程の大学院生による専門性の高い内容となっております。そうした中で分野を跨いだ興味深い議論が交わされるなど、本会の学際的側面が示される展開もあり、成功裡に終えることができました。


《第1報告》
 スポーツ紙と夕刊紙の「社会統合機能」の検証 
文学研究科新聞学専攻博士後期課程 松実明


本発表は、2013年度学位論文(修士)「スポーツ紙と夕刊紙の『社会統合機能』と『大衆性』の検証」を加筆修正したものの一部である。
発表報告の構成については、第1章では、先行研究をレビューするとともに、問題設定をすることをテーマとしている。本章では、大衆紙研究の枠組みのなかでの本研究の位置づけを明らかにする。そして本研究の視座である(1)社会統合機能、(2)中央と地方、(3)メジャー・シェア・ケアのメディア・コミュニケーション論に関する定義を示す。その後、仮説を設定するため、スポーツ紙と夕刊紙の変容過程を検討する。これらの変容過程を検討することで、スポーツ紙と夕刊紙の変容の特徴を明らかにし、その共通点と相違点をあぶり出した。
 第2章は、スポーツ紙各社の社史を用いた文献調査を行い、スポーツ紙の地方版の変容過程を明らかにした。
 3章は、社会報道、高校野球報道、地方版を対象に社会統合機能の視座から紙面分析を行い、これらの報道がどのような規範を提示しているのかを明らかにした。
 4章は、第2章で示した地方版の変容過程の特徴と、第3章で得られた分析結果をメジャー・シェア・ケアのメディア・コミュニケーション論の概念を用いてまとめ、スポーツ紙と夕刊紙の特徴を明らかにした。
5章は、第4章の分析結果を基に、スポーツ紙と夕刊紙のニュースの価値基準を考察するとともに、社会統合機能面からスポーツ紙と夕刊紙の共通点と相違点を明らかにした。

松実氏近影


《第2報告》 
後漢期の羌乱 ――東羌の誕生に関して――
文学研究科史学専攻博士前期課程 酒井駿多


本報告では後漢期における「羌」の存在と後漢王朝の対応についての考察がなされた。まず初めに、「羌」という表現は漢人からの呼称であり、当時そのように呼ばれた人々の自己同定と必ずしも一致しない概念であるということを確認した。そのうえで史料に目を通していくと、漢代という短い期間の中でも時代を経るごとに、漢と西北異民族との関係性の変化に応じて、「羌」の概念が拡大していき、それ以前には「羌」と呼ばれていなかった人々が漢人によって「羌」と呼ばれる現象が幾度も起こったことを明らかにした。
その一方で、後漢王朝の対羌政策については、章帝期ごろから護羌校尉を中心とする対羌体制の組織化を進めていったことを確認しつつ、安帝期以降に羌乱の規模が涼州の外まで拡大してからはそれらの組織が十全に機能しなかったことを指摘した。機能不全に陥った理由としては并州に東羌と呼ばれる「羌」が出現したことにより、それまでの護羌校尉の組織では対応しきれない部分があったと説明した。そのうえで、東羌の性質については西羌とは異なる部分が多く、今後より考察を深めていく必要があるとして報告を締めた。
質疑応答では東羌の存在や彼らが出現した地域の状況に関する質問がなされた。東羌に関してはそれ以前までの西羌が持っていた「解仇結盟」などの特徴がなくなっており、かなり異質なものである可能性を提示した。また、并州諸地域の状況に関しては漢王朝が行ってきた統治策などを考察しながら当時の状況を復元していく必要があるとし、今後の課題として明確に位置付けた。

酒井氏の報告風景


《第3報告》
 「四神相応」の変遷 ――古代陰陽師の「相地」考――
文学研究科史学専攻博士前期課程 中村航太郎


 報告者は現在「古代陰陽師の職能の形成と修得――「相地」をめぐる変遷から――」という題で研究を行っている。陰陽道研究では、80年代までは中国において成立した陰陽道が日本に伝来し定着したとする「中国成立説」が支持されていたが、90年代以降では陰陽道とは諸要素が中国より伝えられるも9世紀後半から10世紀にかけて日本で独自に形成され成立したものであるとする「日本成立説」が主流である。今回の報告ではその形成過程を考察するにあたり陰陽師の職掌の一つである「相地」に着目し、「四神相応」に注目しその内実に迫ることを志向している。
 まず、遷都や山稜の選定に関する相地の事例や、「地鎮」への陰陽師の参入過程を追うことにより、律令国家形成期において「相地」の重要性は高かったのではないか、との推測を示すに至った。つまり、中国的環境を導入するために陰陽寮の諸職掌(占筮・相地・天文・暦・漏刻)が設定・整備されたとも言え、その中でも相地は、当時の喫緊の課題である都城や陵墓の造営に深く関わっていたのである。
 だが、当時の陰陽師の相地の具体的な知識・技能は伝わっていない。そこで、ある程度推測する手掛かりになると目されるのが「四神相応」観念である。そこで日本と中国における四神相応の事例を列挙することで分析した。その結果、方角を正す形式の四神相応から山川道澤説の四神相応への変遷が連動していること、また敦煌文書の宅経の文言と日本の言説を比較すると完全な合致例はないものの意味的には同じものが確認でき、知識・技能の更新が図られていることを見出すことができた。
 質疑応答では、史料上の「相地」の文言の解釈について、また本論においての「相地」の定義についての補足説明が求められた。今後はさらに史料を読み込みつつ事例を分析するとともに、用語に対して自覚的に検討を進めていきたい。

中村氏による発表の一場面

(掲載写真は全て報告者の許可を得たものである)